涙って温かいんだよね。

さおりん

2010年04月21日 10:43

何度聞いても涙が出てしまう・・・

そんな曲ってありませんか?

最初は「トイレ?変な歌・・・」って思って聴いていたのですが、
最後まで聴き終えた時、涙が止まらなくなってしまった曲です。

この一ヶ月くらいの間で、かなり紹介されるようになったので
ご存知の方も多いかと思いますが、私からも紹介させてください

今日はちょっと長文
那須キャンプのレポを書こうと準備していたのですが、
テレビから流れた曲に涙、涙・・・

これだけ泣いたあとに楽しいレポを書くには、ちょっとテンションが足りません
なのでネタとして書きかけだった記事をアップしようと思います。

キャンプとは無関係ですが、本当に素敵な曲なので紹介させてくださいね。


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少し前からTVやFMなどで流れていて、そのたびに泣いていたのですが、
今朝はTVでフルコーラスで流れたために手を止めて、またポロポロ泣いてしまった1曲。

大人になると涙を流すことが少なくなるように思いますが、
涙って温かいものなんだなぁ・・・と、再確認させてくれました。

ミュージックビデオがyou tubeにて公開されていましたので張っておきます。
著作権のことがあるので歌詞はここに転記しませんが、
検索していただければ出てきますよ。

ぜひ一度聴いてみてください
長い曲ですが最初から最後まで聴くと、その良さがジワっと実感出来ます





これを聴いて浮かんだのは、今は亡き祖母のこと。
16年前の2月に永眠した祖母ですが、若い頃は波乱万丈の人生を送った人。

子供が産めない体だったために養女を迎え、それが現在の「私の母」。
なので、私と祖母は血がつながっておりません

だけど血のつながっていた父方の祖母よりも、
何故か血のつながりの無い母方の祖母の方が、
より「私のおばあちゃん」という意識が強かったのは、愛情の深さゆえだったのでしょうか


私の母は、どうやって子供を愛したら良いのかが分からない人。
なのでしょっちゅう祖父母の家に預けられていました。

だから私にとっては、父母も祖父母も、どっちも親みたいなもの。
完全にパパっ子で、おばあちゃんっ子だったんです


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横浜と川崎、車で行けば1時間も掛からないところに済んでいたので、
両親からの再三の同居の申し入れも断り、
2人で余生を過ごすことを決めていた祖父母。

そんな中、私が小6の時に祖父の胃がんがみつかりました。
ガンは初期で告知せずにいたものの、
当の祖父は気づいていたようで、万が一を考え、祖母を1人にしないためにした決断
急遽私たちとの同居が決まったのでした。


バタバタの引越しのあと、入院までの短い期間で愛車のバイクも処分し、
地方にいる知り合い宅に挨拶周りをし、
まるで自分の死期を予感しているような行動に、私たちはただただ見守るだけでした


そして手術から1週間後・・・

合併症を起こしてモウロウとする意識と、痛みに耐える中で、
「イリョウミス コクハツシテホシイ」そんなメモを残して旅立っていった祖父。

祖母への最後の言葉は「若いもんに面倒をかけるんじゃないよ・・・」
そんな祖父を静かに見送った祖母。
それまで強い人だった祖母が、初めて見せた涙。


祖父の最後の言葉(遺言)をかたくなに守り続けた祖母は、とにかく一生懸命でした。
父が長期でニューヨーク出張だった際には、
頼りない母に代わって家の中を取り仕切り、父が戻った直後に倒れたことも・・・




だけど、頑張り続けた祖母は最後、私たちのことがわからなくなってしまいました。

      ・
      ・

   そう、痴呆です。

      ・
      ・

私が声を掛けても「お母さ~ん!」と叫んで泣いてしまいます
当時高校生だった私はそんな祖母が怖くて、家にいるのが怖くて逃げてばかりでした。

外にいれば見ないで済むから。
友達と遊んでいる時は忘れていられるから。
すっごく卑怯だった私。。。



最後は病院に入り・・・本人、そして母の希望もあり延命処置をせず。
入院直後から眠ったままになり、主治医からの余命宣告。

昼間は私と妹、夜は母がつきっきりで病室で見守りました。
父はそんな私たちの送り迎えをしてくれました。


ほんの一瞬でもいいから、目をあけて欲しかった・・・
言えなかったごめんねとありがとうを、ちゃんと目を見て言いたかった。。。

私が免許を取ったら、病院の送り迎えもドライブにも連れてってあげるねって約束したのに
間に合わなかった・・
楽しみにしててくれたのに叶えてあげられなかった。。。
最後は眠ったまま、スっと息を引き取りました。


「どうしてだろう 人は人を傷付け 大切なものをなくしてく」

ほんと、歌詞にあるとおりだと思いました。
優しくなれない自分がすごくもどかしくて、いつも心の中で自分を責めてた。
そのことが辛くて、ますます外へ外へと居場所を求めてしまっていました。
目を覚まさなければいけなかったのは祖母じゃなくて、きっと私の方
なくしてからわかる、いつもそんなことばかり。


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おばあちゃんが覚えている最後の私の姿はきっと、
親の言うことも聞かず、夜遊びばかりで酷い孫だったハズ。

だけど、そんな私のこともちゃんと愛してくれて、
血のつながりなんて全く感じないほど、いっぱいの愛情をかけてくれて、
本当に心から感謝してるのに。

おじいちゃんの遺言なんて聞かずに、迷惑いっぱいかけてくれて良かったのに。。。
頑張り過ぎなんだよ、おばあちゃん。
もっと楽に生きて、料理も裁縫も、たくさん教えて欲しいことがあったんだよ。
そしたら私、きっともっといい奥さんになれたかな。


ずっと一生懸命に生きてきたおばあちゃん。
私たちと家族になって、少しでも幸せを感じていてくれていたなら嬉しいな。
ダメかな?図々しいよね・・。

でも、私のおばあちゃんでいてくれて、本当にありがとう。
心からそう思っています。


忙しい毎日の中で、そういう感謝の気持ちとかって忘れてしまいがちだけど、
しっかりと思い出させて心の中の掃除をしてくれる、私にとってはそんな曲です。

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