ルナが虹の橋を渡りました。

さおりん

2014年03月06日 22:23



久しぶりの投稿ですが、皆様に悲しい御報告をしなければなりません。
長文ですので、お時間のある時にご覧くださいね。

2014年2月6日 朝6時ごろ
愛犬ルナは虹の橋を渡ってしまいました。
14歳10ヶ月でした。
今日は月命日です。

天真爛漫で、好奇心旺盛で、甘え上手で、食べることが大好きで、
ボール遊びと雪遊びが好きで、キャンプも車旅も大好きで
本当にたくさんの方に可愛がっていただき、ありがとうございました。

初めてお会いする方々に「ルナちゃんですか?」と声を掛けて頂けることも多く、
また、パピヨン倶楽部やSPDCなど、犬連れの皆さんとの交流も通じて、
私たちだけでは知り合うことの出来なかった、たくさんの方々と
お話したりキャンプしたりすることも出来ました。
ルナの繋いでくれた御縁は計り知れません。

思えば、私がホームページを作りたい!と思ったのも、
ルナが家族になったことがきっかけでした。
まだblogなんて無かった時代です。
当然htmlって何?の状態でしたが、今ではこんなblogも書いています。

当初、とにかく車酔いの酷い子で、
旅行やキャンプに同伴するなんて、夢のまた夢でした。
吠えないようにしつけることはもちろんでしたが、平行して車慣れの訓練をしたり
どうしたら安心してもらえるのか?と考え、試行錯誤の日々。
先輩方にもアドバイスをもらって、何度も何度も繰り返しました。
その甲斐あって、今では車大好きな子になりました。
今思うと大した苦労じゃなかったように思えます。すごく懐かしいです。


家族4人+ルナで暮らし始めたわけですが、
こだぴ~には結婚前からルナを我が子のように可愛がってもらい、
結婚後、ルナは実家で暮らすのがいいのか、私たちと暮らすのがいいのか?と
随分と悩んだものです。
これからシニアの域に入るということで、環境を変えない方がいいだろうことと、
実家にいれば私たちが頻繁に会いに行けますが、
逆だった場合、両親や妹が会いにくるのは容易では無いこともあり、
寂しかったですが、ルナは実家で暮らすことになりました。

すごく寂しかったですよ。
でもそれ以上に、ルナが寂しく感じないよう、よりいっそう色んなところへ連れて行ったり
実家へも頻繁に行き来するようになりました。

それでも当時は色々と心無いことも言われたものです。
一緒に住んでないのにエラそうなことを言うな!とか、
好きな時だけ連れ出してズルい!とか・・・
「通りすがり」という名で言いたい放題言われたこともあります。

何を言われようと、家族全員でルナのために出した答え。
そう信念をもって今までやってきたことに後悔しておりませんが
私と同じような立場の方がいらしたなら、
どうか世間の適当なことを言う人たちに負けないで、我が子を愛してあげてください!
そう言ってあげたいです。
離れてもなお、ルナは私に対して信頼を寄せ、変わらぬ愛情を注いでくれました。
・・・とても幸せでした。


ルナが虹の橋を渡って、少しずつですがお世話になった方々に連絡を取り
その暖かい言葉に涙する毎日でした。
泣いてばかりだったので、連絡もなかなか進まず、
1か月経った今日、こうしてやっとblogでの御報告をすることが出来ました。
いつか、ルナという子、そんな子がいたね・・・と、思い出して頂けたら幸いです。

ルナを可愛がってくださった皆様に、ありがとう!
たくさんの方と引き合わせてくれたルナにも、ありがとう!



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以下に、急変からの記録を書いておきたいと思います。

以前は肝臓の値が良くなかったのですが、
シニアになったせいか、今度は腎臓が弱っていて、
この数年は、お出かけするのもルナのストレスの掛からないもの限定。
私たちなりに気を配ってやってきました。

それでもこの1年の間に、素人にも分かるくらいに足が弱り、フラつくようになり
夏の本栖湖キャンプの時に、カヌーは今年が最後になる・・・と感じて泣きました。
年末あたりからは食も細くなりつつありました。


1月30日(木)
そんな中、母から「ルナが昨日から食べなくなって・・・」と連絡が来たので、
すぐに実家に駆けつけて病院へ。
食べることが大好きなルナ。
よほど具合の悪い時でないと、ごはんを食べないなんて有り得なかったのです。

先生曰く・・・「人間で言えば、即刻人工透析が必要な状態」
毎年、血液検査をして状態を確認して来たのですが、一気に悪化してしまいました。
そして残念ながら、犬に人工透析は出来ないのです。

そのまま緊急入院。
点滴をして、身体の毒素が薄まる傾向があれば、今後にも光が見えてくる。
しかし、改善が見られない場合には・・・正直厳しいと。
先生が言葉を選びながら説明して下さっているのが痛いほど分かり、
「厳しい」ということが、どういうことなのかを悟ります。


1月31日(金)
3日間入院している間に、私たちはルナのハウスを移動。
今までは抱っこして2階へ連れて行って寝せていたのですが、
今後のことを考えて1階のリビングへ。
父の指示で、ついでに不要な物を処分しておくように言われました。
だけど・・・まだルナが居なくなったわけじゃないのに、物を捨てるって出来なくて
涙しながら片づけていた私。

ルナが家族になった日に、
ルナのハウスの上に「ルナのおうち」と手書きのプレートを置いたのですが
もう使ってないのにどうしても捨てられなくて、手に持って泣いてしまいました。
それを、きっと父は見ていたのでしょうね。
埃を払って、他の荷物に紛れていたそのプレートをキレイにして、
またハウスの上に飾ってくれました。
気持ちが嬉しかったです。本当に。

また、こんな時に片づけさせるなんて・・・と、その時は思ったけれど
ルナが居なくなったあとで片づけるなんて、きっと私には出来なかった。
両親とも、そういうことも分かっていたんだと思うんです。
この先、介護が必要かもしれない、居なくなってしまうのかもしれない。
数日の間に私たちも覚悟を決めることが出来ました。


2月1日(土)
退院前日、ルナのお見舞いに行ったところ、ゴハンを食べてくれないとのこと。
「飼い主さんが一緒なら、少しでも食べてくれるかもしれないから」と、
待合室の片隅にルナを連れて来てくれてくれました。
私たちが居る事に喜んだルナでしたが、ゴハンには見向きもせず・・・
だけど体力の落ちているルナは、食べてくれないと身体が持ちません。

30分くらい粘って半分諦めかけてた時、私の指についたササミをペロっと舐めました!
嬉しかったですね。すごく愛おしかったです。
普段から、手や顔をペロっと舐めてくれることってあると思いますが、
愛犬が手を舐めてくれることが、こんなにもこんなにも嬉しいなんて。
それから勢いがついて、お皿の半分もの量をゆっくりですが食べてくれました。


2月2日(日)
退院。
けれども点滴等をしても改善の兆しは見られなかったとのこと。
あとはルナがどれくらい食事をすることが出来て、身体が持つのか・・・です。
それでも身体が辛くないように、毎日点滴をしてもらいに通院することなりました。

食事はいつもの療法食ではなく、とにかく食べてもらえる物なら何でも!ということになり
5年以上我慢させていたチーズやササミを買って来てあげました。
よほど嬉しかったのでしょう。
1食分キレイに食べてくれました。
今後に期待が持てるかな?と少し安堵。
退院したと聞いて、妹も育児で忙しい中、駆けつけてくれました。
ルナ、嬉しそう。


2月3日(月)
昨日までは自由に自力でスロープからソファーに上がっていたのだけど、
今日になってフラフラが酷くなっていました。
なのでスロープを外し、柵を使ってルナの行動範囲を狭くしてあげます。
トイレに行かなくちゃ!と、必死に立ち上がる姿に涙、涙・・・。
ゴハンは全く食べてくれませんでした。
ゴハンも食べれないので、当然薬も飲めず。
今日から点滴+注射もすることに。


2月4日(火)
立ち上がっても、すぐにペタン!と倒れてしまうようになりました。
相変わらずトイレまで行こうとするけれど、もう間に合いません。
それどころか、吐くようにもなってしまいました。すごく苦しそう。

暖かい毛布などを用意しても、すぐに汚してしまうので、急遽買い足しへ。
実家近くの大きなペットショップ。
いつもなら、何かルナのためにイイものが無いかしら?とウキウキするのだけど、
今回は違います。
もう、ここへ通うのも最後かもしれない・・・そう思ったら、買い物してることすら辛くてダメ。
みんな楽しそうに買い物してる中で、半べそかいてるのは私くらい。
夕方、点滴のために通院したところ、先生から提案がありました。
「明日は休診日ですが、ルナちゃんが心配なので・・・いらっしゃいますか?」と
ありがたく申し出を受けることにしました。


2月5日(水)
初めての痙攣を起こしました。
痙攣を起こして以降、寝たきりになりました。
苦しいせいなのか全く眠らず、目はパッチリ開いていて、私たちを目で追います。

病院に行ったところ・・・
「今夜がヤマだと思います。今夜は一緒にいてあげてください」と先生。

頻繁に痙攣が起きると苦しいので、緩和させるための坐薬と、使い方の説明を受けて
病院の外に出ると、先生がドアのところまで出てきて、深く長く一礼してくださいました。
「医者には限界がある。何もしてあげられなくてゴメンな・・・」と、
涙をこらえてルナに語りかけてくれた先生。
先生なりの見送り方に、胸が熱くなりました。

病院から戻っても痙攣が2回ほどあり、
時々苦しそうにウーウーと唸る時もあり、見ているのも辛い長い夜です。


2月6日(木)
私が寝ずに付き添うことにして、体力の無い両親には何も求めないことにしました。
でも母は、早めに寝て夜中に起きてくることを選び、
父は、私が一人になる時間を減らすように、遅くまで起きていてくれました。
ルナを思う気持ちと、娘の私をそっと気遣ってくれる優しさが胸に沁みて泣きそうになります。

痙攣は、数時間ごとに起きました。
その合間に、仕事で来られなかったこだぴ~がビデオチャットを試みてくれたのです。
いわゆるテレビ電話です。
すでに耳が聞こえないルナですが、目は見えています。
私のiPhoneに映る大好きなこだぴ~の姿を見つけ、キョロキョロと目で追っています。
胸がいっぱいになりました。
こだぴ~との電話を切ったあと、ルナの見えないところでどれだけ泣いたか分かりません。

それから1時間くらいして、私が一人の間に再び痙攣が始まってしまいました。
すぐに坐薬を用意したのですが、入れたハズの坐薬が指ごと押し出されてしまいます。

なんで・・・?

血の混ざった正体不明の内容物が一気に出てきたのでした。
怖さと驚きとで手が震えて、涙が止まりません。
いったんシートを新しいものと交換し、お尻をキレイにしてあげてから
もう一度坐薬を入れてみます。
不慣れな上、泣いてるし指も震えているから上手く入らなくて
ごめんね、ごめんね、と言いながら必死でした。
その甲斐あってか、これ以降に痙攣が起きることはありませんでした。

その後、母が起きてきてくれたので、私はソファーでうたた寝。
でも緊張しているせいか、すぐに目が覚めてしまいます。
3時間ほど、落ち着いた状態が続いたあと、その時は突然やってきました。


微動だにしなかったルナの耳が、突然パタパタと動き、
苦しそうに息をし始めました。
母と同時に駆け寄って、二人で身体を撫でながら声を掛け続けました。
すると、ルナの呼吸が少しだけ楽になったようでした。

最後を迎える時は「ありがとう」と言おうと決めていたので、
必死に声を掛けようとするのですが、涙でぐしゃぐしゃな私・・・
声を出すと「ワ~!」っとなってしまいそうで、なかなかありがとうが言えません。
「ルナ・・・ルナ・・・」それ以上に声が出せません。
ありがとうが言えたのは、本当に最後の最後。
絞り出すような声で、何とか言うことが出来ました。

ルナの息がだんだんと弱くなっていき、最後はスっと息を引き取りました。

ルナの見えるところでは絶対に泣かない!と決めていた私。
私の笑顔を覚えていて貰いたかったし、泣き顔を見たらルナも心配になるだろうと思って
隣にいる時は笑顔でいるようにしていたのです。
その反動かな、ワっと泣きだしたら止まらない。
でも突然「あ、まだ私の役目は終わってない!」と思い、ピタリと泣き止むと
母に指示を出し、ルナをキレイにしてあげました。


それから、ルナのこれからについて両親と話をし、
ペット専門の葬儀場で火葬していただき、
後日、祖父と祖母が眠る墓地内のペット専用敷地に、ルナも入ってもらうことにしました。
火葬も墓地も、私の気の済むように・・・と、
業者選定から全面的に決めさせてくれた両親には感謝しています。

残るは納骨だけとなりました。
相変わらずメソメソしている私を、天国のルナは心配しているかもしれません。
元気になったつもりなのだけど、思い出すとやっぱり泣いてしまうのです・・・
それほどに、子供のいない私たちにとって子供のような存在であったし、
天真爛漫な行動と笑顔に、いつも癒されていたからこそ、
居なくなって、その存在の大きさに寂しさを感じてしまうのでしょう。
でも、元気にならなくちゃね。


ルナ、私はあなたと出会えて心の底から幸せだったよ。
決して良くできた飼い主じゃなかったと思うけど、
そんな私を信頼してくれてありがとう。
泣き虫だから、まだまだ泣いちゃうかもしれない。でも心配しなくて大丈夫だから。
いつか虹の橋で会おうね。
ありがとう。大好きだよ。
宝物のルナへ。



P.S.元気な時のルナの写真を一緒に見ていただこうと準備していたのですが、
   どうしても泣いてしまって、今日までに選び切ることが出来ませんでした。
   後日、アップしたいと思いますので、再度ご覧いただけたら幸いです。

   また、このblogにはルナとの思い出もいっぱいつまっていますので
   今後もゆっくり続けて行ければと思っています。心配してくださった皆様、ありがとう。
  



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